シンデレラストーリーを起こしたい
シンデレラストーリーを起こしたい。
いつからか、本気で願うようになっていた。
"むかしむかし"から始まるおとぎ話。
よくある少女漫画みたいな恋愛物語。
子供の頃からそんなものに、憧れて、夢を見ていた。
でも
今の私にはそんな夢物語は、すこしだけメルヘンすぎる。
私たちが生きているのは、"むかしむかし"の世界ではないのだ。
『平成最後』なんて言葉が飛び交う現代を生きる私たちに似合う、シンデレラストーリーとは、なんだろうか。
そんなことを夜な夜な考えている。
なにも、王子様と結婚することだけが、シンデレラストーリーではないのではないだろうか。
童話「シンデレラ」の主人公のように、有名ではない一般人女性が、短期間で(あるいは長い年月にわたる苦労の末)見違えるほどの成長と幸福を手にし、芸能界や社交界、その他の一流の場などにデビューしたり、あるいは資産家と結婚する成功物語
これがシンデレラストーリーという言葉の"意味"だ。
だったら、現代で、大人と子供の間を彷徨う、『Z世代』なんて名前のついたわたしたちに似合うシンデレラストーリーが、きっと起こせるのではないだろうか。
『その人自身が理想とする人生を実現し、"幸せだ"と胸を張って自信を持って生きること』
私は、現代のシンデレラストーリーをそう定義してみたいと思う。
今を生きる私たちには、きっと生き方の選択肢なんて無限に存在している。
きっとどこにチャンスが転がっているか分からないそんな素晴らしい世界で生きることができる。
そんな私たちはきっと、
幸せにしてくれる王子様を待たなくても、魔法がなくても、私のガラスの靴は私が探せばいい。私の物語は私が紡げばいい。
そうやって幸せをつかめると思うのだ。
私たちにとって、童話"シンデレラ"の王子様とイコールの存在は、恋人や結婚相手だけではない。仕事やキャリアだって、イコールで結んでみたらいい。
ガラスの靴はきっと"私だけの強み"。
最初はそんなもの見つからなくても、自分に自信が持てなくなって、何者にもならない自分にため息をつく日々だって、
そうやってひとりひとりが自分だけの物語を主人公として紡いでいけたら、その物語を愛することができたら。
そこにはもしかしたら、
"現代のシンデレラストーリー"が生まれるのかもしれない。
そんな願いにも似た"定義"を、してみようと思う。
シンデレラストーリーを起こしたい。
コンプレックスに嫌という程泣いて、
環境のせいだと泣きわめきたくなるくらい、いろんなものが消えて行ったり、
刃物のような言葉で傷ついて、日陰で生きたり、
そんな時があったからこそ、
夢見がちだと言われても、
なに言ってんのと笑われても、
私は、私のガラスの靴を手に入れて、
自分の力で魔法にかかって、
自分だけの物語を紡いでいく。絶対に。
合言葉は、『bibbidi-bobbidi-boo!』
わたしの物語は、まだ始まったばかりだ。